多くの名門校が軍隊的な連帯責任や画一的なフォーム指導を取り入れていた当時、都城高校野球部の育成方針は極めて異彩を放っていました。当時の指揮官である石原与志雄監督をはじめとする指導陣は、山本投手の類まれな関節の柔軟性と胸椎の可動域を即座に見抜き、旧来の「上から叩きつける投球フォーム」の押し付けを一切行いませんでした。
高校時代の山本投手を支えた野球部の恩師たちは、投球過多による故障を徹底して警戒しました。ウェイトトレーニングによる過度な筋肉肥大化を避け、ブリッジや柔軟体操を中心とした自重トレーニング、さらには現在も山本投手の代名詞となっている「やり投げ(ジャベリックスロー)」を取り入れたトレーニング法の土台は、この都城時代に試行錯誤されたものです。
「指導者が型にはめず、本人の感覚を研ぎ澄ませるサポートに徹した」――この環境がなければ、現在メジャーリーグの強打者を翻弄する、脱力から鋭くムチのようにしなるフォームは完成しなかったはずです。指導者が選手を所有物化せず、個の身体構造に寄り添った指導姿勢は、高校野球指導における一つの理想形として現在も語り継がれています。