離婚後、二人がメディアを通じて互いを激しく非難し合うことはなかった。この「沈黙」こそが、かつて深く愛し合った者同士の最後の敬意だったのかもしれない。沈黙は決して無関心を意味しない。言葉にできない複雑な感情を抱えながらも、互いの存在をそれぞれの人生の一部として認め、そっと脇に置く。
「許す」ということは、相手の行為を容認することではなく、過去の出来事に自分の未来を支配させないことだ。南果歩の凛とした佇まいと、渡辺謙の役者としての愚直な歩みは、それぞれが過去と決別し、前を向いて生きている証左である。