山岳ベースでの凄惨な粛清劇の後、警察の包囲網が狭まる中、永田洋子と森恒夫は1972年2月17日、活動資金の引き出しと武器調達のために山を降りたところを群馬県内で逮捕されました。
最高幹部2人が拘束された直後、警察の追手を逃れた坂口弘ら残党5名が軽井沢の別荘に立てこもったのが、あの日本中を震撼させたあさま山荘事件です。永田自身はこの立てこもり現場にはいませんでしたが、山荘包囲戦が続く中で警察の取り調べを受け、やがて山中に埋められた12人の遺体発見へとつながる供述を始めました。
逮捕直後の森恒夫が1973年に東京拘置所で自死を遂げた一方、永田は法廷で自らの罪と向き合い続けることになります。裁判は長期化し、犯行の残虐性と反社会性の重さから、1993年に最高裁判所で死刑判決が確定しました。