婚姻届の受理を知った安岡氏の子供たち親族は、即座に行動を起こしました。安岡氏には婚姻の意思能力がなかったとして、東京家庭裁判所へ婚姻無効調停の申し立てを行ったのです。
調停の中で親族側は、主治医による診断書や当時の面会記録を提出し、「意思疎通が成立しない状態での婚姻届提出は無効である」と厳しく追及しました。安岡氏の弟子筋にあたる政財界の重鎮たちも親族を全面的に支援し、細木氏に対する包囲網が敷かれました。
この混乱の最中、婚姻届提出からわずか数か月後の1983年12月13日、安岡正篤氏は85歳で息を引き取ります。当事者の一方が他界したことで、騒動は「婚姻の効力」と「巨額の遺産相続権」を巡る泥沼の法廷闘争へと引き継がれました。