当時の指揮官・星野仙一は、前年1999年にセ・リーグを制覇しながらも日本シリーズで敗れ、連覇と日本一に向けて圧倒的な打力を求めていた。ナゴヤドームの広いグラウンドでもスタンドに叩き込める左の長距離砲。ディンゴの獲得は、打線の破壊力を飛躍させるラストピースと目されていた。
しかし、開幕を迎えると歯車が少しずつ狂い始める。守備の負担を減らすため、本職の捕手ではなく外野手や一塁手としての起用が続いたが、日本の緻密な配球術とナゴヤドーム特有の広い外野フェンスが立ちふさがった。オープン戦で見せていた豪快なスイングは影を潜め、開幕後はわずか打率.180、1本塁打、8打点と極度の打撃不振に喘ぐことになる。