神道無念流の門下生には、思想的立場を越えて幕末の政局を左右した錚々たる顔ぶれが並びます。特筆すべきは、倒幕派の領袖となった長州藩の桂小五郎と、佐幕派の急先鋒として京の治安維持を担った新選組の重鎮たちです。
桂小五郎は若くして江戸に遊学し、練兵館に入門後わずか数年で頭角を現しました。師の斎藤弥九郎から絶大な信頼を寄せられ、道場を取り仕切る「塾頭」を務めて神道無念流の免許皆伝を授かっています。後年の政治闘争では「逃げの小五郎」と評されたものの、それは指導者としての生存戦略であり、同時代の証言では「手合わせをすると竹刀がかすりもしない達人」「向かい合った瞬間に間合いを制される凄みがあった」と恐れられていました。
一方、新選組の撃剣師範として知られる永倉新八は、岡田十松の撃剣館で学び、弱冠18歳で免許皆伝を得た神道無念流屈指の実戦派でした。永倉が残した回想録『浪士文久報国記事』や晩年の聞き書きには、実戦における身体の捌き方や間合いの詰め方が克明に記されており、流派特有の強靭な前進力が彼の太刀筋を支えていたことが分かります。油小路の変をはじめとする数々の激闘を生き抜いた永倉の剣は、まさに神道無念流の実戦性の証明と言えます。
さらに、新選組の初代筆頭局長である芹沢鴨も水戸派の神道無念流を修めた剛剣の持ち主でした。水戸天狗党の激派としても知られた芹沢の剣風は、水戸神道無念流の重厚かつ峻烈な特徴を色濃く反映しており、相手を一撃で昏倒させるほどの膂力を誇っていたと当時の記録に生々しく残されています。