昭和の映像文化において、女性の肉体が最も過激かつ高純度な芸術へと昇華された現場が映画界でした。なかでも1971年からスタートした日活ロマンポルノは、「10分に1回のベッドシーン」「上映時間70分前後」という最低限の商業ルールさえ守れば、監督に完全な表現の自由が与えられた特異な実験場でした。
神代辰巳や田中登といった鬼才監督たちがメガホンを取り、数々の日活ロマンポルノ名作が誕生。そこに出演した白川和子や宮下順子といった昭和の美神たちは、世間の偏見や蔑視に晒されながらも、単なる客寄せの裸体ではなく、人間の孤独、哀しみ、狂気を全身全霊でスクリーンに焼き付けました。
さらに一般商業映画の世界でも、名立たる大物女優たちがスクリーン上で衣服を脱ぎ捨てました。当時の昭和女優ヌードは、決して安易なスキャンダルではなく、「女優として一皮剥け、表現の極限に達する」ための儀式であり、自らのキャリアのすべてをチップとして卓上に投げ出す覚悟の産物だったのです。