日本刀の歴史を語る上で、相模国の「正宗(まさむね)」と伊勢国の「村正(むらまさ)」は、しばしば対極の存在として比較されます。古くから「人を活かす正宗、人を斬る村正」と称されてきた両者ですが、刀剣工学および美術的な観点からその差異を整理したのが下表です。
初代村正は文亀年間(1501〜1504年頃)から活動したとされ、赤松政則に仕えた美濃鍛冶の流れを汲む刀工です。その最大の特徴は、刀の表と裏で波の形が鏡写しのように完全に一致する「表裏揃い(ひょうりそろい)の刃文」にあります。これは炉の温度管理と焼き入れ技術が極限まで均一でなければ成し得ない至難の業です。
さらに柄の中に収まる茎の部分が魚のタナゴの腹のように丸みを帯びて膨らむ「タナゴ腹(たなごばら)」も村正一派の独創的な意匠です。手元に重心を寄せることで、乱戦の中でも素早く振り抜ける実践的な重量バランスを実現していました。
正宗が鎌倉武士の精神性を体現した静謐な美であるとするならば、村正は過酷な戦国乱世を生き抜くために研ぎ澄まされた冷徹な機能美の結晶といえます。