1985年の4月から11月にかけて発生した一連の事件において、確認された死者は12名、重軽傷者は30名以上にのぼります。被害者の年齢層は中学生から高齢者まで幅広く、地域も西日本から東日本まで広範囲に及びました。
警察の捜査を大きく阻んだのが、メディア報道に刺激された模倣犯(コピーキャット)の急増です。最初の事件が大々的に報じられると、便乗して毒物や異物を混入させる悪質な模倣事件が全国で同時多発しました。混入された薬剤もパラコートだけでなく、有機リン系農薬や家庭用洗剤、漂白剤へと多様化していきました。
同一犯による連続犯行なのか、それとも各地の模倣犯による単発の犯行なのかの判別が極めて困難になり、捜査本部のリソースは全国で分散・逼迫。この模倣犯の連鎖こそが、首謀者の足取りを完全に煙に巻く結果となってしまいました。