野口英世と黄熱病の真実|偉人の死因と研究の誤りを徹底解明

野口英世と黄熱病の真実|偉人の死因と研究の誤りを徹底解明

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1928年5月21日、野口英世は西アフリカのイギリス領ゴールド・コースト(現ガーナ)の首都アクラにある医学研究所の病室で息を引き取りました。野口英世の黄熱病における直接の死因は、皮肉にも彼自身が終生その撲滅に挑み続けた「黄熱病そのもの」でした。

当時、米国のロックフェラー医学研究所で世界屈指のスター科学者として君臨していた野口は、中南米のエクアドルやメキシコでの調査を通じ、黄熱病の病原体は細長いらせん状の細菌「レプトスピラ・イクテロイデス」であると発表していました。野口が開発したワクチンや血清は一時的に現地で効果を上げたと報じられ、ノーベル生理学・医学賞の有力候補として推挙されるなど、名声は頂点に達していました。

しかし、アフリカで発生していた黄熱病に対して野口のワクチンは一切効力を発揮せず、英米の若手研究者たちから「野口説は根本的に誤っているのではないか」という厳しい反論が相次ぎます。自説の正しさを証明し、科学者としての威信を取り戻すため、周囲の強い反対を押し切って51歳の野口は単身アフリカへ渡航しました。

アクラの研究所に到着した野口は、連日連夜、過酷な熱帯気候の中で顕微鏡に向かい続けました。当時の助手や同僚の手記によると、野口は防護策もそこそこに素手同然で患者の血液や感染動物の解剖組織を扱っていたと記録されています。野口英世の感染経緯の真相としては、実験室内での感染血液の飛沫接触、あるいは現地の蚊(ネッタイシマカ)による刺咬など、極めて高いバイオハザード環境下での不慮の被爆が決定打となったことが分かっています。

中村 さくら
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中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。