彼女の歩みを語る上で避けて通れないのが、1980年代から90年代にかけての電力業界という極めて閉鎖的な職場環境である。1986年に男女雇用機会均等法が施行されたとはいえ、当時の巨大インフラ企業は完全なる男性社会だった。女性総合職は「ショードー(見せ物)」と揶揄され、お茶汲みやコピー取りといった慣習的業務を暗黙のうちに求められる一方で、男性と同等の成果を出し続けなければ容赦なく排除されるプレッシャーに晒されていた。
彼女の父親もまた、同じ東京電力の幹部社員だった。優秀な父を誇りに思い、その背中を追って同じ組織へと飛び込んだ彼女だったが、入社から間もなく父が病で急逝する。精神的支柱を失った彼女にのしかかったのは、母と妹を養う家長としての責任と、父の同僚たちからの無言の視線だった。
組織内で正当な評価を得られず、企画部門から関連部署への異動を経験する中で、彼女の孤立感は決定的なものとなっていく。誰にも甘えることができず、職場の男たちに対等な存在として認められない絶望。その反動として、夜の街で自らの存在を「必要とされる」ことに倒錯した救いを求めてしまったのではないか。彼女の二重生活は、歪な組織社会が生み出した痛烈な悲劇の副産物でもあった。