オグリキャップという競走馬の凄みを理解するうえで欠かせないのが、地方競馬・笠松から中央競馬へ殴り込みをかけ、頂点まで駆け上がった泥臭くも華々しいキャリアです。通算成績32戦22勝(地方12戦10勝、中央20戦12勝)。過密日程が当たり前だった当時の競馬界においても、G1級の激戦を連戦連勝するタフネスはまさに「怪物」の名にふさわしいものでした。
特に年末の総決算である有馬記念には、1988年から1990年まで3年連続で出走し、それぞれ全く異なる表情とドラマを競馬史に刻みつけました。
1988年 有馬記念(第33回):
中央競馬に移籍後、重賞6連勝を飾ったオグリキャップは、クラシック登録がなかったため菊花賞には出走できず、矛先を天皇賞(秋)とジャパンカップへ向けました。そこで立ちはだかったのが、同じく芦毛の王者タマモクロスでした。天皇賞(秋)、ジャパンカップと2戦連続でタマモクロスの後塵を拝したオグリキャップでしたが、三度目の正直となった有馬記念で見事に雪辱。岡部幸雄騎手を背に、引退レースを迎えた宿敵タマモクロスをねじ伏せて悲願のビッグタイトルを掴み取りました。
1989年 有馬記念(第34回):
秋に毎日王冠、天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ、ジャパンカップという過酷極まりないローテーションを敢行。マイルCSでバンブーメモリーとの死闘をハナ差で制し、わずか連闘で挑んだジャパンカップでは世界レコード(2分22秒2)と同タイムの2着に激走しました。迎えた有馬記念では、盟友イナリワン、スーパークリークとともに「平成三強」として激突。結果はイナリワンのハナ差2着に惜敗したものの、過密日程の極限状態で見せた底力はファンを驚嘆させました。
1990年 有馬記念(第35回):
春に安田記念をコースレコードで快勝したものの、秋シーズンに入ると突如として精彩を欠き、天皇賞(秋)6着、ジャパンカップ11着と惨敗。世間から「オグリキャップ限界説」が叫ばれる中で迎えたラストランでした。そして、このレースこそが競馬史に永遠に刻まれる「奇跡の有馬記念」となります。