1914年、シンガポールで生まれた武藤嘉子(のちの三淵嘉子)は、幼少期から進歩的な家庭環境で育った。当時、女性は結婚すれば「無能力者」として扱われ、財産の管理すら夫の同意が必要だった明治民法の時代である。良妻賢母であることが女性の唯一の美徳とされた世相において、彼女が選んだのは法律という刃で理不尽な現実と対峙する道だった。
父親の後押しを受け、彼女は女子教育の最前線へ飛び込む。1938年、難関であった高等文官試験司法科に合格。翌々年に日本初の女性弁護士として活動を開始した。しかし、待ち受けていたのは戦争の激化と、法よりも軍靴の音が支配する暗黒時代だった。戦禍によって最愛の夫や弟を相次いで亡くすという過酷な悲劇に見舞われながらも、彼女は決して法への信念を手放さなかった。
戦後、焦土と化した日本で新しい憲法が施行されると、彼女は司法省に入省する。民法改正や家庭裁判所の創設に奔走し、やがて裁判官への道を切り拓いた。1972年には新潟地方裁判所長に就任。日本で初めて女性として地方裁判所のトップに君臨した。その生涯は、挫折と孤独を抱えながらも、常に次の世代のために敷石を置き続けた闘争の連続だった。