マイクを置いた彼女が次に手にしたのは、名声ではなく小さな縫い針だった。長年にわたり情熱を注いできたキルトアートの世界において、彼女は本名の「三浦百恵」名義で確固たる実績を築き上げている。キルト作家の第一人者である鷲沢玲子氏に師事し、基礎から地道に技術を積み重ねてきたそのキャリアは、すでに30年以上の長きに及ぶ。
2019年に刊行された作品集『時間の花束』は、引退から実に39年ぶりの著書として社会現象とも呼べる大反響を巻き起こした。ページをめくると広がるのは、緻密な幾何学模様と温かみのある色彩が調和した圧巻のタペストリー群。家族の成長や日々のささやかな情景を布の端切れに重ね合わせ、一針一針に祈りを込めて縫い上げる。作品展で披露されるその技術は、もはや趣味の域を遥かに凌駕し、国内外の手芸ファンを唸らせる芸術作品として高い評価を得ている。
創作現場における彼女は驚くほどストイックだ。妥協を許さない。派手なアトリエを構えることもなく、自宅の居間で静かに布と向き合い続ける。かつて歌声で人々の心を震わせた表現力は、形を変えて今、布と糸の織りなす小宇宙へと注ぎ込まれている。