インターネット上の掲示板やSNSでは、不祥事を起こした著名人や怠惰な行動に対して「人間だもの、仕方ない」と皮肉交じりに引用されるケースが散見されます。しかし、これを「罪の免除」や「無責任な開き直り」として解釈するのは、相田みつをの思想に対する決定的な誤解です。
みつを自身は、著書の解説や生前の講演記録において、「人間だもの」という言葉を使う際の心構えについて厳しく言及しています。この言葉は、他人が犯した過ちを許すための「寛容の言葉」であり、同時に自分自身の至らなさを恥じ入る「自戒の言葉」として吐き出されたものです。決して自らの怠慢や不誠実を正当化するための盾ではありません。
「自分は未熟で愚かな人間だ」と認めることは、責任放棄ではなく、「だからこそ、泥臭く精一杯生きなければならない」という覚悟への反転を意味します。詩の後半にある「手をつくしたんだもの」という一節を見落としてはなりません。人事を尽くし、傷つき、それでも思い通りにならない限界にぶつかったとき初めて、魂から絞り出される言葉こそが「人間だもの」の本質です。