当然ながら、二人の関係が周囲に知れ渡ると、保守的な地方都市アミアンには激震が走りました。著名な医学教授であったマクロンの両親は、息子が24歳年上の既婚教師と親密な関係にあることを知ると激怒。当初、両親はマクロンがブリジットの娘であり同級生だったローレンスと親しくしていると誤解していたため、その衝撃は計り知れないものでした。
両親は息子を引き離すため、マクロンを最終学年でパリの超名門校「リセ・アンリ4世」へと強制的に転校させます。しかし、街を去る日、当時17歳のマクロンがブリジットに向けて放った言葉は、今日でも語り継がれる伝説の一幕となりました。
「あなたが何をしようと、私は必ず戻ってきて、あなたと結婚します」
パリとアミアンという物理的な距離も、二人の情熱を冷ますことはできませんでした。マクロンは毎日のように長文の手紙と電話でブリジットに連絡を取り続け、知的な議論と愛を伝え続けました。一方、ブリジットの家庭内にも深刻な亀裂が生じます。銀行員であった元夫のアンドレ=ルイ・オジエール氏は妻の不貞と世間の噂に深く傷つき、家を出て別居を選択。アミアンの社交界から冷たい視線を浴びながらも、ブリジットは子供たちを守るために時間をかけ、2006年に正式な離婚が成立するまで10年以上もの慎重な歳月を費やしました。