歴史を遡れば、夏目漱石をはじめとする明治・大正期の文豪たちの記述にも「卑近」という語はたびたび登場する。当時の知識人層にとって、「卑近」は難解な学説を日常の視点に引き下ろして解説するための、極めて知的なレトリックであった。
岩波書店の『広辞苑』や三省堂の『新明解国語辞典』といった日本を代表する辞書を開けば、そこには一貫して「身近でわかりやすいこと」と定義されている。辞書編纂の舞台裏を描いた小説『舟を編む』でも語られているように、言葉の定義を守り抜く辞書編纂者の情熱と、実際に街で使われる生き物としての言葉には、常に静かな葛藤が存在する。