1980年(昭和55年)6月25日、トリオレコード(後にバップ等へ移籍)からシングルレコードとしてリリースされた当初、竜氏はすでに44歳という演歌界でも極めて遅咲きの新人でした。派手なタイアップや大規模な宣伝予算は皆無であり、レコード会社の営業マンと竜氏自身が各地の有線放送所や酒場へ直接足を運ぶ草の根プロモーションからスタートしました。
しかし、一度耳にすると忘れられない哀愁を帯びたメロディと、絞り出すような独特のハスキーボイスは、まずトラック運転手や水商売関係者の間で瞬く間に評判となりました。有線放送リクエストチャートを急上昇した本曲は、発売から数か月でオリコンチャートのトップ10にランクイン。最高位オリコン週間チャート第2位を記録し、累計売上150万枚以上のミリオンセラーを達成しました。
勢いは留まることを知らず、1981年の『第32回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たします。全盲の演歌歌手がギターを携え、自らの生きてきた証を全国放送の大舞台で披露した姿は、日本中の視聴者に深い感動を与え、竜鉄也の名を不滅のものとしました。