1829年夏、フェリックス・メンデルスゾーンは英スカイ島やヘブリディーズ諸島を巡る過酷な船旅へ出た。船酔いに苦しめられながらも、彼が目にしたのは風に打ちつけられる巨大な玄武岩の柱柱群と、うねる北海の白波だった。この時に受けた強烈な視覚と聴覚のインスピレーションが、のちに歴史的な名作である演奏会用序曲『フィンガルの洞窟』を生み出す直接のトリガーとなる。
実家に送った一通の手紙に、彼はすでにメインテーマとなるメロディを書き留めていた。「ヘブリディーズ諸島が僕にどれほど強い影響を与えたか、この楽譜で伝わるだろう」という言葉とともに残された数小節。低音弦楽器が刻む揺れるような波のモチーフは、荒涼とした海の質感と静寂を瞬時に想起させる。音楽理論家たちが絶賛する緻密な対位法とダイナミクス構造は、単なる景色を描写した「音の絵画」にとどまらない。人間の内面にある畏怖と情熱を巧みに交差させた傑作だ。