兄弟でありながら、秀吉宗家と秀長家とでは「血の行方」において対照的な運命をたどりました。両者の違いを整理すると、戦国乱世における血脈維持のリアルが見えてきます。
秀吉の血は、大坂夏の陣の敗北に伴い、秀頼の自害と8歳の遺児・国松の斬首、さらに娘の天秀尼が東慶寺に入り嗣子なく世を去ったことで、1645年を最後に完全に断絶しました。一方、秀長は穏やかな調整型リーダーとして諸大名に慕われた人徳も手伝い、遺された実娘が毛利家へ入ったことで、豊臣宗家の滅亡を尻目にその遺伝子を江戸・明治・現代へと受け渡すことに成功したのです。