亀山社中は“日本初の商社”ではなかった? 龍馬が長崎で作った組織の正体と現在地【2026年最新】

亀山社中は“日本初の商社”ではなかった? 龍馬が長崎で作った組織の正体と現在地【2026年最新】

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亀山社中と海援隊の違いを一言で言えば、「脱藩浪士の私設集団」と「土佐藩公認の機関」である。慶応3年(1867年)、土佐藩が亀山社中の実績を評価し、藩の海運・通商を担う外郭組織として海援隊を発足させた。龍馬はその隊長に就任する。メンバーの多くは亀山社中から横滑りしており、組織の目的も「物資調達と海運」で重なる。

つまり、亀山社中は消滅したのではなく、海援隊へと“公認化”される形で衣替えした。当時の一次資料では、海援隊約規に「隊士ハ皆藩籍ニ列ス」とあり、土佐藩士としての身分が与えられた。この点が、幕府や他藩から「海賊集団」と警戒されかねなかった亀山社中時代との大きな違いだ。商社としての体裁が整うのは、むしろ海援隊になってからである。

高橋 健太
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高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。