近年の日本古代史研究を大きく前進させたのは、文献の再読だけではない。地面の下から掘り起こされた考古学的な遺物が、文献史学の記述に鋭いメスを入れている。
難波宮跡の発掘調査や各地から出土する「木簡」の文字解析により、『日本書紀』に記された改新の詔の文言には、後世(天武・持統朝や大宝律令制定期)の用語が一部混入・潤色されている可能性が濃厚となった。「郡」という行政単位が当時は「評」と表記されていた事実が木簡によって証明されたことは、古代史学会に激震を走らせた一例だ。改新は645年や646年に一気呵成に完成した魔法のような変革ではなく、半世紀以上にわたる試行錯誤と妥協の積み重ねであった実態が浮き彫りになっている。